八雲社(祇園社) |
昔、宮尾山の麓の蛇渕というところに一匹の気の荒い大蛇が棲んでいました。悪さばかりを働くため、困った村人が篠崎神社の宮司に相談し、出雲国で八岐大蛇を退治した須佐之男命の御霊を招き、宮尾山の上に祠を建て祀ったところ、おとなしく優しい大蛇になりました。以来、八雲社(祇園社)は厄除け、また「蛇の枕石(夜泣き石)」のいわれにより縁結びの神として信仰を集めています。 |
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疫神社 |
疫病退除のため、1774年(安永3)に五代藩主忠苗公が篠崎神社大宮司川江敏種に命じて小祠を建立。鎮疫の神として大已貴命(大穴遅神)を祀ったのが疫神社です。 |
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蛇の枕石 (夜泣き石) |
昔、この地に悪さばかりを働く大蛇が棲んでいましたが、八雲社の神のお導きにより優しい大蛇になりました。その大蛇が年頃になった時、美しい女蛇と出会い恋に落ちましたが、ある日、女蛇のところに貴船神の急の使いがやって来、大蛇に事を告げる間もなく女蛇は大蛇のもとを離れてしまいました。事情を知らない大蛇は女蛇恋しさに紫川左岸の蛇渕(現在の木町付近)の大石に毎夜現われては、その石を枕に大声で泣き続けるのを見兼ねた八雲社の祭神が、大蛇を竜神に姿を変えて女蛇のもとへと導いてあげました。 この故事に基づき、石は「蛇の枕石」「夜泣き石」と呼ばれ、恋愛成就、子供の夜泣き封じにご利益があるといわれています。 |
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力石 |
三韓遠征から凱旋し、筑前の宇美で皇子を出産をした神功皇后が、穴門(長門)の豊浦宮にお帰りの途中、鷹尾山の山頂にあった大石(力石)の上に皇子を立たせ、「穴門は近し」とお懐かしみになられたといわれています。その伝承の石と伝わる「力石」。この大石に立った応神天皇は、その後、立派に成長し、優れた功績を残したことから、”立身出世””子安成長”の霊石と信仰を集めています。 |
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御子安台 |
1971年(昭和46)、社殿造営の際、ご神体を奉安する仮御神座として設けられた「御子安台」。今は、一時的に神様がおられたこの台座の上に赤ちゃんを寝かせ、「子安成長」「立身出世」「延命長寿」をお祈りする祈願どころとされています。 |
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加茂宮 |
1765年(明和2)、小笠原4代藩主忠総公が加茂別雷命を勧請。続いて、5代藩主忠苗公が品田和気命、市寸島比売命を相殿に勧請しました。その後、1862年(文久2)に9代藩主小笠原忠幹公が篠崎神社大宮司川江直種に命じて別殿を建立、祭祀されたのが加茂宮です。 |
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