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社殿 |
社殿は戦災によって焼失してしまいましたが、氏子の方々と国の援助によって1952年(昭和27)10月24日に再建されました。社殿中央に主神の楠木正成公、向かって右に楠木正成公夫人、向かって左に正成公の嫡男・正行公と正成公の弟・正季公以下ご一族十六柱並びに菊池武吉公が祀られています。 |
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史跡 楠木正成公戦没地 |
楠木正成公は、圧倒的な戦力を誇る足利尊氏公の軍勢の前に敗退。湊川神社拝殿西側にある「公殉地」は、1336年(延元元)5月25日、正成公が一族16騎、郎党60余人とともに自刃された地です。 |
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楠木正成の墓 大楠公御墓所 |
合戦後、楠木一族の御霊を弔うために小さな塚が築かれましたが、その後、荒廃。正成公を崇敬していた水戸光圀公は、遺跡の荒廃を歎いて、「助さん」で知られる家臣の佐々介三郎をこの地に遣わし、1692年(元禄5)12月21日に墓碑を建てました。碑面の「嗚呼忠臣楠子之墓」は、光圀公自筆の文字を掘り込んだもので、背面には明の儒学者で、日本に亡命した時光圀公に厚遇を受けた朱舜水の撰文が刻まれています。 |
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水戸光圀公像 |
楠木正成公墓碑の傍らに建つ「水戸光圀像」。光圀公は、楠木正成公の墓碑を建立し、そのご盛徳を天下に顕彰されました。その功績を讃え、1955年(昭和30)に水戸光圀公の銅像が建立されました。 |
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