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平清盛の五男、平重衡は、1180年(治承4)の以仁王の乱を鎮圧し、同年末、平清盛の命で反平氏の興福寺や東大寺を攻撃し、奈良の大仏を焼失させるなど、平家の主力として活躍した人物です。 |
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しかし1184年(寿永3)2月7日、一の谷の合戦で生田の森を大将・平知盛、福大将・平重衡の軍勢で守っていたが、源氏の攻撃を防ぎきれず敗走。平重衡は、乳母子・後藤兵衛盛長と須磨まで逃れてきたが、この地で源範頼の家来に捕らえられてしまいました。松の根に腰を下ろして無念の涙を流す平重衡を見て、村人が濁酒をさしあげたところ、うれしさのあまり「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁酒なれ」という歌を詠んだといわれています。 |
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平重衡は鎌倉に送られ、その後、興福寺・東大寺衆徒の要求で奈良に送られる途中、処刑されました。 |
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【 住所 】 |
兵庫県神戸市須磨区1丁目 |
【 電話番号 】 |
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【 拝観時間 】 |
自由 |
【 拝観料 】 |
無料 |
【 アクセス 】 |
山陽本線「須磨寺駅」から徒歩約5分 |
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■ 神戸の史跡 |
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