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后の宮 |
『摂津風土記』によると、敏馬神社は神功皇后によって創建されたと記されています。后の宮にはその創建者である神功皇后が祀られています。また社のそばにある「神功皇后祠」と書かれた石碑は、1938年(昭和13)に神社西北の民家から発掘されたもので、室町時代の作といわれています。 |
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水神社・奥の宮 |
水神社には、敏馬神社創建時の主祭神といわれる彌都波能売神(みずはのめのかみ)が祀られています。その神命から「みぬめ」の名が誕生したそうです。また奥の宮は、江戸時代以前から本殿の裏に祀られていた祠で、伊邪那岐大神・伊邪那美大神が祀られています。男女の悪縁を絶ち、良縁を結んでくれると信仰を集めています。 |
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松尾神社 |
敏馬神社の氏子地は、灘五郷の一つ・西郷といわれ、江戸時代中期から酒造業や回船業が栄えた地域でした。そのためそれらの業の守護神として祀ったのが松尾神社です。松尾神社には、金山彦神、大山祇神、船玉神の三柱が祀られています。 |
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柿本人麻呂の歌碑 |
敏馬の美しい風景に惹かれ、多くの歌人・俳人がこの地を訪れ、和歌や俳句を残しています。敏馬神社には、その一人、万葉歌人・柿本人麻呂の歌碑「玉藻かる 敏馬をすぎて 夏草の 野島の埼に 舟ちかづきぬ」が立てられています。 |
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