■ 材木座海岸 |
|
|
|
|
|
滑川河口から飯島崎まで続く、約1kmの海岸。 鎌倉時代は材木の積み下ろしで賑わったところですが、現在はマリンスポーツのメッカとして人気が高いスポットです。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座6 |
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 光明寺 |
|
|
|
|
|
1243年(寛元元)に第4代執権・北条経時の帰依を受けて、然阿良忠上人が開山した浄土宗の大本山。 以降、歴代執権の帰依を受けて、大寺院へと発展。江戸時代には、徳川家康が定めた浄土宗学問所、関東十八檀林の筆頭寺院となり、学問と修行の中心として栄えました。 また光明寺は朝廷との関係も深く、山門に掲げられた「天照山」の扁額は、後花園天皇の直筆によるものといわれています。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座6-17-19 |
|
光明寺【お寺紹介】 |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 補陀洛寺 |
|
|
|
|
|
1181年(養和元)、源頼朝の祈願所として文覚上人によって創建されたと伝えられるお寺。かつては七堂伽藍を持つ大寺院でしたが、度重なる竜巻で伽藍を失ったことから「竜巻寺」の異名をもっています。 補陀洛寺には、本尊の十一面観音や室町期の薬師如来像、永和3年(1377)銘の秘鍵大師像など、貴重な仏像が安置されています。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座6-7-31 |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 九品寺 |
|
|
|
|
|
鎌倉攻めの際、新田義貞が材木座に構えた本陣跡に、1336年(建武3)、北条方の戦死者の霊を弔うために義貞が建立した浄土宗のお寺。山門と本堂に掲げられている「内裏山」と「九品寺」の扁額は、義貞が書いたものの写しです。ちなみに「内裏山」とは、朝廷の勅を奉じて陣営をこの地に設けられたことから付けられた山号です。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座5-13-14 |
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 来迎寺(材木座) |
|
|
|
|
|
源頼朝が衣笠城で戦死した三浦大介義明の菩提を弔うために、1194年(建久5)に建てた能蔵寺が前身と伝えられています。当初は真言宗のお寺でしたが、のちに音阿上人によって時宗に改修し、寺名も来迎寺になったとされています。 境内には、義明とその子多々良三郎重春の五輪塔や、本殿裏手に義明の家臣たちの小さな五輪塔が約170基並んでいます。また本堂には、智恵のある良い子を育てるといわれる子育て観音も祀られてあり、庶民の寺として親しまれているお寺です。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座 2-9-19 |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 妙長寺 |
|
|
|
|
|
伊豆で日蓮の命を救った漁師、舟守弥三郎の子(一説によると本人)である日実上人が、材木座の沼浦に一堂を建立したのが妙長寺のはじまりといわれています。しかし津波による被害を受けたため、現在の地に移転されました。 沼浦とは、伊豆流罪になった日蓮上人の船出の場といわれ、境内にはその船の6分の1の模型が置かれています。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座2-7-41 |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 長勝寺 |
|
|
|
|
|
日蓮上人が草庵を結んだといわれる、松葉ヶ谷小庵に建つと伝わる3つの寺(妙法寺、安国論寺)のうちのひとつで、1263年(弘長3)、松葉ヶ谷一帯の領主だった石井長勝が日蓮に帰依して小庵を結んだのがはじまり。 境内には、高村光雲作の高さ約2.5mの日蓮上人辻説法像が立っています。また長勝寺で毎年2月11日に行われる水垢離の荒行は有名です。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座2-12-17 |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 日蓮乞水 |
|
|
|
|
|
鎌倉五名水のひとつ「日蓮乞水」。 日蓮上人が安房国(千葉県)から鎌倉に入る旅上、のどの渇きに水を求め、上人が杖を突き刺したところ水が湧き出たという言い伝えのあることからこの名で呼ばれています。 |
|
場所:横須賀線名越坂踏切り近く |
|
|
|
|
 |
|
|
|
■ 元八幡宮(由比若宮) |
|
|
|
|
|
1062年(康平5)に陸奥の豪族・安倍氏の乱(前九年の役)を平定した源頼義・義家父子は、その乱で東国武士を束ねることに成功。翌年、源頼義は源氏の氏神と仰いでいる京都の石清水八幡宮の分霊を当地に勧請しました。 1180年(治承4)、鎌倉に入った源頼朝はこの社を現在の鶴岡八幡宮に遷座しましたが、遷座後もここでの祭祀は続き、「元八幡宮」と呼ばれ信仰を集めています。 |
|
場所:神奈川県鎌倉市材木座1-7 |
|
元八幡宮(由比若宮)【お寺紹介】 |
|
|
|
|
■ 自転車で鎌倉寺社めぐり |
|