■ 歌ノ橋 |
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冤罪で殺されることになった渋川兼守が、その悲しみを和歌に詠み、荏柄天神社に献納。それを詠んだ源実朝は胸を打たれ、罪を許しました。 歌ノ橋は、感謝した兼守が建てたという故事にちなんで名付けられた橋です。 |
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場所:神奈川県鎌倉市二階堂二階堂935 |
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■ 杉本寺 |
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734年(天平6)に光明皇后の御願により、大臣・藤原房前と僧・行基によって建立された、鎌倉で最も古いお寺。 茅葺き、寄棟造りの本堂には、3体の十一面観音(秘仏)が安置されてあります。 行基作、円仁作、源信作による3体の十一面観音像は、1189年(文治5)に起こった火災の際、自ら境内の大杉の下に避難したという言い伝えがあり、以来「杉本観音」と呼ばれ親しまれています。 |
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場所:神奈川県鎌倉市二階堂903 |
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杉本寺【お寺紹介】 |
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■ 報国寺 |
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「竹の寺」で有名な報国寺は、1334年(建武元)に足利尊氏の祖父・家時が天岸慧広を開山として創建したと伝えられる臨済宗のお寺。 境内には、本尊の釈迦如来像を安置する仏殿をはじめ、迦葉(かしょう)堂、鐘楼、庫裡などが建ち並んでいます。 また本堂の西側には、この寺の別名「竹の寺」の由来となる1000本を越えるみごとな孟宗竹の庭があり、森閑とした美しい竹林を眺めながら抹茶をいただくこともできます。 |
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場所:神奈川県鎌倉市浄明寺2-7-4 |
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報国寺【お寺紹介】 |
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■ 旧華頂宮邸 |
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1929年(昭和4)、華頂博信侯爵邸として建てられた、戦前の洋風建築を代表する建物。 外観はハーフティンバーと呼ばれる西洋の民家調で、極めて整然で古典的な意匠になっています。また邸内には広々とした芝生のフランス式庭園を擁し、バラや紫陽花など四季折々の花を楽しむことができます。 |
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場所:神奈川県鎌倉市浄明寺2-6-37 |
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■ 浄妙寺 |
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1188年(文治4)、源頼朝の重臣・足利義兼が退耕行勇を開山として建立した「極楽寺」という真言宗のお寺がはじまり。その後、建長寺開山・蘭渓道隆の弟子、月峯了然が住職となり、寺は臨済宗に改められ、寺名も「浄妙寺」となりました。 室町時代には七堂伽藍が整備され、塔頭23院を数え、鎌倉五山の第五位に列せられたお寺です。 |
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場所:神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31 |
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浄妙寺【お寺紹介】 |
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■ 明王院 |
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鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経が、1235年(嘉禎元)、宇都宮辻子に築いた幕府の鬼門除け祈願所として建立したお寺。 本尊の不動明王をはじめ、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王をまつり、それぞれの明王に大きなお堂があったことから「五大堂」とも呼ばれています。 |
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場所:神奈川県鎌倉市十二所32 |
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■ 光触寺 |
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もともとは真言宗の寺でしたが、弘安年間(1278〜88年)に一遍上人に帰依した作阿によって時宗に改宗されたと伝えられるお寺。 境内には、信心深い法師の身代りになって頬に焼印を受けたという伝説が残る本尊・阿弥陀如来像(別名:頬焼阿弥陀 重文)を安置する本堂や、塩を扱う商人が初穂に塩を供えると帰りにはその塩が無くなっていたことからお地蔵さまが嘗めたのだろうという言い伝えをもつ「塩嘗地蔵」が安置されています。 |
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場所:神奈川県鎌倉市十二所793 |
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■ 十二所神社 |
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1278年(弘安元)に創建されたといわれる十二所神社は、もとは「熊野十二所神社」といい、光触寺の境内にありました。 その後、1838年(天保9)に現在の地へ移されて明王院の所管となり、明治維新時に「十二所神社」と改称されました。 祭神は、天神七柱、地神五柱の合計十二柱の神々が祀られています。 |
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場所:神奈川県鎌倉市十二所 |
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■ 自転車で鎌倉寺社めぐり |
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