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創建時の礎石 |
再建された中門をくぐると、正面の本堂前に講堂跡、右側に金堂跡、左側に三重塔跡の礎石があります。1963年(昭和38)から本格的発掘調査が行われ、1984年に中門跡を、1986年に塔跡を発掘調査し、創建当時の姿の一部が判明しています。 |
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金堂跡 |
まだ発掘されていないので詳細はわかりませんが、東側にあった金堂は南北に長い建物で、西を向いていたと考えられています。塔が東を正面としていることから、塔と金堂は向き合った配置であったと推定され、伽藍配置自体は法隆寺と同じですが、「野中寺式伽藍配置」とも呼ばれています。 |
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ヒチンジョ池西古墳の石槨 |
かつて来目王子[くめおうじ]墓(塚穴古墳)の西側、ヒチンジョ池に臨む西側の台地上(現在の大阪府羽曳野市はびきの3丁目)にあったヒチンジョ池西古墳。現在その古墳はありませんが、1965年(昭和40)に野中寺に石槨が移設され、本来は土中で埋まってみることができない石槨を間近に見ることができます。 ヒチンジョ池西古墳の石槨は、近くの二上山産の凝灰岩を使用した箱型横口式石槨で、古墳時代終末期のものと思われます。大阪府指定文化財。 |
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