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神功皇后は、三韓遠征からの帰途、忍熊王の反乱に遭いました。神功皇后は平定を願い、この地で葦の葉に埴土(はにつち)を包んで方位の祓いを行い、その神力で勝利に導いたと伝えられています。それがきっかけとなって、住吉大社を建立する時にこの地を明神として崇拝。後に、方位からくる災いを除くために、神霊をとどめて方違社として祀ったのが方違神社のはじまりといわれています。 |
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この神社のある場所は、古くから摂津・河内・和泉三国の境にあることから「三国ヶ丘」と呼ばれ、どこの国にも属さず、方位がないと考えられてきました。そのためこの神社に参拝すれば、三国の土が一度に踏め、知らずに方位を冒していても方除けの守護神に加護してもらえるといわれています。 |
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平安時代には熊野詣の通過地点にあったことから、熊野詣に行く人は必ずここに参り、旅の安全を祈願しました。弘法大師も唐の国へ出発する際、旅の安全を祈願するため参拝に訪れたそうです。また1868年(明治元)に明治天皇が東京への遷都の際、17日間にわたって方位祈願を行ったことでも知られています。 |
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方違神社では、毎年5月31日に「粽祭」を行います。真菰(まこも)で埴土を包んだ粽を神社に奉る神事で、この粽を授かると転宅、普請、旅行などで方位の災いを祓うことができるとされています。 |
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新築、増改築、引越し、旅行などの際には、参詣される方の姿であとを絶えない方違神社です。 |
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