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社の創建は古く、難波八十島の一つの小島に祠ができたのが始まりと伝えられていますが、定かなことはわかっていません。 |
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社名は、菅原道真が太宰府に左遷される途中、福島に船泊まりされた際、太融寺に参詣の道すがら船頭茂大夫の案内で参詣され、当地で「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」と詠まれた歌からとって社名になったといわれています。また梅雨の頃になると、社前の井戸から水が湧き出たためともいわれ、社名には諸説あります。 |
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露天神社といえば”お初天神”の名でも知られていますが、これは1703年(元禄16)に堂島新地天満屋の遊女・お初と内本町平野屋の手代・徳兵衛がここで心中事件を起こし、その事件をもとに脚色した近松門左衛門の『曽根崎心中』が空前の大ヒットしたことから、その主人公であるお初にちなんで呼ばれるようになりました。境内にはお初・徳兵衛の比翼塚があり、切っても切れない縁結びのご利益があると人気です。 |
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社殿は1945年(昭和20)の空襲で焼失してしまったため、現在のものは1957年(昭和32)に再建されたものです。さらに、1977年(昭和52)に、「菅公御神忌1075年祭」と「社殿復興20周年記念」事業として境内各所の修復や透塀・玉垣が新設され、1993年(平成5)には社務所・参集殿・正門・鳥居などが造営されました。 |
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露天神社では、毎月第1・3金曜日に骨董市「お初天神蚤の市」が行なわれています。 |
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■ 境内案内 【 露天神社(お初天神) 】 |
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