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難波宮跡
難波宮跡 難波宮跡
 難波宮は、長くその所在がわからず、「まぼろしの都」と呼ばれていました。1953年(昭和28)に、近隣から古瓦が発見されたことから発掘調査が進み、その所在が確認されました。
 難波宮は、645年(白雉元)の大化の改新後に造営された、わが国最初の本格的都城といわれ、発掘調査により、難波宮は大きく分けて前期と後期に分かれることがわかりました。
 前期は、7世紀中頃に造られた難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや)がこれにあたると考えられ、一度都は飛鳥の地に戻されましたが、天武天皇によって難波宮は副都とされ、686年(朱鳥元)まで続いたといわれています(前期難波宮)。後期は、聖武天皇の命により726年(神亀3)から再び難波の地に大規模な造営が開始され、744年(天平16)難波宮は再び帝都となりました。その後、784年の桓武天皇による長岡京遷都で主要な建物が移築されるまで存在したと考えられています(後期難波宮)。
 発掘調査では、前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されており、港をひかえた難波の地は、5世紀以降、外交・文化・経済・政治の重要な拠点として栄えていたことがわかります。
 現在、宮殿の中心部の約9万平方メートルが国の史跡に指定され、難波宮史跡公園内には、宮殿の中心的な建造物であった難波宮大極殿の基壇が復元されています。
 難波宮の発掘調査は現在も行われ、発掘された難波宮の遺構は近くの大阪歴史博物館で保存・公開されています。
【 住所 】
大阪市中央区法円坂1
【 電話番号 】
06ー6943-6836((財)大阪市文化財協会難波宮調査事務所)
【 拝観時間 】
自由
【 拝観料 】
無料
【 アクセス 】
大阪市営地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」から徒歩約5分
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