■ 猿沢池 |
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もとは興福寺の放生池として造られたといわれ、奈良時代、天皇に仕えていた采女が、寵愛が薄れたのを苦に身を投げたという伝説が残る猿沢池。 周囲に柳が植えられた風情のある池で、この池ごしに興福寺の五重塔を望むアングルは、絵はがきや奈良ポスターにも登場する景勝のポイントとしても有名です。 |
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場所:奈良県奈良市登大路町 |
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猿沢池【お寺紹介】 |
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■ 元興寺極楽坊 |
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596年(推古天皇4)に蘇我馬子が飛鳥に創建した法興寺(飛鳥寺)を、718年(養老2)にこの地へ移したのがはじまり。「奈良の平城(あすか)」と呼ばれ、南都七大寺の一つとして栄えたお寺です。収蔵庫には、高さ5mの木造五重塔(国宝)や聖徳太子像、高僧智光が残した極楽曼陀羅などが安置されています。 世界文化遺産。 |
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場所:奈良県奈良市中院町11 |
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元興寺極楽坊【お寺紹介】 |
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■ 福智院 |
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736年(天平8)に興福寺の僧、玄ムが開いたと伝わる真言律宗の古刹。 大きな裳階を付けた寄棟造の本堂(重文)に上がると、本尊の丈六地蔵菩薩坐像(重文)が安置されています。1203年(建仁3)に造立された高さ2.73mの巨像で、560体の化仏を配した見事な光背も注目です。 |
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場所:奈良県奈良市福智院町46 |
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■ 十輪院 |
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吉備真備の子、朝野魚養(あさぬなかい)が、元正天皇の旧殿を拝領して開いたと伝えられる古刹。鎌倉時代に礼堂として建てられた雅な本堂(国宝)の奥に、日本の石造美術の中でも大変珍しい石仏龕(石の厨子)がまつられています。十輪院の石仏龕には、地蔵菩薩を中心に弥勒菩薩や釈迦如来、十王、天女など、さまざまな仏さまが彫られています。 |
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場所:奈良県奈良市十輪院町27 |
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■ ならまち格子の家 |
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奈良町の伝統的な町家を再現して、新しく建てられた建物。 間口の広さで税金が決まったことから、店の間、中の間、奥の間、中庭、離れ、蔵と続く「ウナギの寝床」のような奥行きが深い構造になっています。収納スペースと階段が一緒になった箱階段や、採光と通風のための明かりとりなど、昔の人の生活の智恵がいたるところに見られます。 |
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場所:奈良県奈良市元興寺町44 |
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■ 奈良町資料館 |
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入口には庚申信仰の身代り猿がすだれのようにぶら下がり、ひときわ巨大な宙吊りの身代り猿もお出迎え。 奈良町の保存を訴え続けてきた館長の南さんが自宅を改装して開いた資料館で、江戸時代から明治にかけて奈良町で使われていた生活用品や、昔の看板、美術品、元興寺ゆかりの仏像などが展示されています。 |
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場所:奈良県奈良市西新屋町14 |
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■ 庚申堂 |
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堂内に「庚申さん」と呼ばれる青面金剛像が祀られ、庚申さんの使いである「身代わり猿」が軒下にぶら下がっている小堂。 この「身代わり猿」は、人間の体には庚申の日に悪行を天帝に告げる虫がいるといわれ、天帝に悪行を知られた時、自分に変わって怒りを受けてくれるといわれているお猿さんです。 |
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場所:奈良県奈良市西新屋町39 |
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■ 誕生寺 |
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中将姫の誕生地と伝わり、境内に中将姫産湯の井戸が残っています。本堂では、中将姫の木像や二十五菩薩の木像などが拝観できます。 また誕生寺と道を隔てた西北にある徳融寺は、中将姫の父・藤原豊成の屋敷跡と伝わり、豊成・中将姫の墓があります。 |
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場所:奈良県奈良市三棟町1 |
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■ 時の資料館 |
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暦や時計など、「時」に関する資料が展示されている資料館。 庶民が最初に利用した暦のひとつといわれる「南部暦」や江戸時代の携帯用「日時計」、イスラムの「天体観測器」、中国の「香時計」、大掛かりの「機械式時計」など、貴重な品が飾れています。 |
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場所:奈良県奈良市西新屋町28 |
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■ 率川神社 |
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平城遷都以前からある古社で、現在は大神神社の摂社。 本殿は一間社流造の社が3棟並び立ち、中殿に神武天皇の皇后である五十鈴姫命、その左右に姫君の両親が祀られています。両親が子を守るように立っていることから、”子守明神””子守さん”と呼ばれ、安産・育児の神として信仰を集めています。 |
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場所:奈良県奈良市本子守町18 |
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■ 奈良旅行・観光コース |
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