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垂仁天皇18年(紀元前12)の創祀と伝えられる玉造稲荷神社。 |
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玉造稲荷神社には、587年(用明天皇2)、聖徳太子が物部守屋と新しく渡来した仏教の是非をめぐる戦いの際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願したところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったとの話が残っています。長い歴史のある神社ですが、度々の戦火で焼失と再建を繰り返し、1576年(天正4年)の兵乱により記録が焼失してしまいました。 |
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1603年(慶長8年)、豊臣秀頼によって社殿が再建されましたが、それも大坂夏の陣で焼失してしまい、当時のものとしては柱の部分が破損してしまった豊臣秀頼寄進の「石の鳥居」が境内に置かれてあります。その後も、大火や大阪大空襲で焼失し、現在の社殿は1954年(昭和29)に再建されたものです。 |
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境内には、「難波・玉造資料館」や秀頼の胎盤を納めた「胞衣塚大明神」、「秋田實笑魂碑」、「大坂三十三所巡り・第十番札所碑」、「なで子持曲玉石」などがあり、「伊勢参宮本街道」の起点にもなっている玉造稲荷神社です。 |
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■ 境内案内 【 玉造稲荷神社 】 |
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【 住所 】 |
大阪市中央区玉造2-3-8 |
【 電話番号 】 |
06-6941-3821 |
【 拝観時間 】 |
参り時間は日の出から日没まで |
【 拝観料 】 |
無料 |
【 アクセス 】 |
JR大阪環状線「玉造駅」または「森ノ宮駅」から徒歩約6分 |
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■ 大阪の神社 |
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